障がい者と健常者の間にいる「ボーダー」への支援不足...障がいの定義は「医療モデル」から「社会モデル」に転換を!

このサイトは「おときた駿@ブロガー都議会議員(北区選出)」を応援したりすることが目的ではありません。また個人や団体としておときた氏とは一切の関わりを持っていません。

ただ、このブログにあるように「医療(個人)モデル」といわれるように、誰かや行政がどこかで線引きし支援と非支援を作り出していることは間違いないと思います。

「社会モデル」と言われる考え方にも賛否はあると思いますが、医療モデルにおける「誰かが線引きせざるをえない」ということは人間社会がある以上、存在するのではないかと思います。

行政的な視点でどこかで線引きをすることはもちろん必要かもしれませんが、もっと私たちは知恵を出し合って、我田引水的でもなく恣意的にでもない新しい考え方を探していくべきではないでしょうか。

もし、あなたの家族や子ども、愛する人の人生が「誰か」によって線引きされ支援の輪からすり抜けてしまったら・・・と考えてください。

はたして人間が、「人間」そのものに正しい線引きなどできるものなのでしょうか?


「私」が私以外の人を考えることそのものが、安全保障でもあり、社会の基盤だと思いたいですね。



「障がい者と健常者の間にいる「ボーダー」への支援不足...障がいの定義は「医療モデル」から「社会モデル」に転換を!」

ハフィントンポスト日本語版より転載

(転載元ネタは「おときた駿 公式ブログ」とのこと)

http://otokitashun.com/blog/daily/9268/

著者:おときた駿

以下記事引用



こんばんは、おときた駿@ブロガー都議会議員(北区選出)です。

本日は自身のお子様が、知的障害者と認定される程度ではないが、

健常者と同じ生活はできないレベルの所謂

「ボーダー」

である方と意見交換を行いました。

以前にもこうした「ボーダー」を数多く受け入れる

私学「星槎学園」の視察に行った際にお伝えしましたが、

我が国ではこうした人々に対する「すこしだけの支援」がほとんどありません。

「あと少しだけの支援」で頑張れる人を、支える仕組みがないという現実の中で

http://otokitashun.com/blog/daily/8026/

現在東京都では、身体障害者には「障害者手帳」、

知的障害者には「愛の手帳」が交付され、一定の支援を受けることができます。

しかしながら、医療的な診断やIQ検査などでその水準を満たさなかった場合、

「障がい者」とは認定されず、ほぼすべての行政支援から排除されてしまいます。

例えば特別支援学校は、障害者手帳またはそれに準ずる医療診断書がなければ入学できません。


こうしたボーダーの当事者は就学では普通学校と特別支援学校の狭間に落ち、

就労してからも十分なサポートを受けることができず、社会的な困難に直面します。

正確な統計はありませんが、こうしたボーダーの方が女性なら

水商売に入ってしまう、そちらに誘導されてしまう人も非常に多いと言われています。

そしてそれを支える家族の負担は、

計り知れないほと大きなものになっているのが現状です。

こうした我が国の社会システムを作り出している要因の一つが、

障害に対する「医療モデル(個人モデル)」と言われる考え方です。

これについては以前にも、一部分だけ解説したのですが、

本日は別の側面から詳述します。

「変わらないことを望むのは健常者、変わることを望むのは障がい者」

http://otokitashun.com/blog/daily/8848/

医療モデルとは前述のように、医学的診断やIQ検査など

医療的な尺度で「障害」の有無を図り、それに対してサポートをしていく考え方です。

この考えに基づけば、一定の線引をすることは簡易になりますが、

そのラインからはみ出た人々に対しては支援の手が届かないことになります。


一方に存在するのが「社会モデル」というもので、これは

医療的な診断結果や症状に関わらず、その人自身が社会的困難に直面しているのであれば、

それこそが社会にある「障害」であり、支援の手を差し伸べるべき、という考え方です。

「障害」という概念を医療的状態という「個人」に置くことから、

前者の医療モデルは「個人モデル」とも呼ばれています。一方で後者の考え方では、

障害は「社会」に存在するものであり、個人に因るところは少ないと見なしています。

福祉先進国ではすでに前者の「医療モデル」から、

「社会モデル」への価値観の転換が図られておりますが、

我が国においてはまだまだそのレベルに達しているとは言えません。


障がい者政策の根本的考え方を「社会モデル」に切り替えれば、

ボーダーと呼ばれる方々にも支援の手が行き届くようになることでしょう。

しかしながら当然、行政の社会的コストは増大します。

まだ日本の世論では、おそらくここが受け入れられない。

「そんなこと言ったら、たいして困っていない人まで支援を求めてくる」

「明確な線引がなければ、どこまで支援するべきか判断できないではないか!」

という意見もまた、一理あることは確かです。

しかし一方で考えなければならないのは、現在支援の手が届かない方々を支える「負担」は

当事者やその家族が負っているだけであり、社会全体に存在する「負担」の総量は

決して変わらないということです。

仮にその「負担」を行政=社会全体が少しずつ請け負うことができれば、

当事者や家族が可能性を開花させ、社会に貢献できるようになるかもしれません。

それが巡って、社会全体にプラスになる可能性もあります。

こうした点からも社会的な議論を深めて、

障がいに対する見方や政策立案を見つめなおしていく必要があると思います。


正直、障がい者政策については情報発信する度に何らかの厳しい意見に晒されるし、

政治家としては二の足を踏む分野であることは間違いありません。

(その政治家自身が当事者であったとしても、変わらないようです)

しかし、私は現実から目を背けることは致しません。

しっかりと正面から対峙し、勉強不足は素直に認めて精進し、

国民の皆さまと対話を深めながら政策提言を続けていきたいと思います。

観念論的な話が多くなりましたが、

ボーダーの方に対する就学・就労支援については、

先進事例を参考に東京都でもしっかりと働きかけて参ります。

それでは、また明日。

(2015年10月29日「おときた駿 公式ブログ」より転載)

http://otokitashun.com/blog/daily/9268/